ベア小話6 ベアを作る理由
昔からぬいぐるみには興味がなかった。
あるきっかけで今、テディベア製作人として仕事をしているが、それまでテディベアを実際に見たことも触れたこともなかったし、まさか自分が、というのが正直な気持ちだ。
ではなぜ、わたしはベアを作るのか。
テディベア作家・利倉佳子さんとの出会いがきっかけで作ることになったのだが、何というか、必然というか、ついに出会ってしまったというか...。自分で一生懸命見つけても決して見つけることはできなかっただろうし、乱暴な言い方をすれば、勝手に向こうからやってきたという感じだった。
何十年かに1度、巡ってきた幸運のようなものだ。
その後付けとして、誰かに喜んでもらいたい、みたいなことはあるのだけれど、もしそんな理由でベア製作をはじめていたら、すでに飽きてやめていたかもしれない。「好きだから」ではじめたからこそ、ずっと手を動かしていられるのだなぁと。
今までたくさんのベアを作った。その多くは誰かと別な場所で暮らしている。完成したベアを自分の部屋に並べて楽しむような性分ではないし、動かない小動物(?)を生み出すことをシェアしたいと思うのはある意味、当然のことかもしれない。
「ちょうだい」「うん、あげる」みたいな安易な会話があってベアを渡すわけではなくて、まず縁があることからはじまる。その人が病気や精神的に辛い思いをしているとか、長年お世話になっていて感謝を表したいとか、それぞれの人に対しての想いがある。まぁ、人にはどうでもいいことなのだけれど、私なりのちゃんとした理由があるわけだ。
ベアを受け取った側と私の、互いの喜びはとてつもなく大きい。たぶん宇宙一幸せな瞬間なんだと思う。3つの魂(相手、私、ベア)が化学反応を起こしたようになって光を放つ。大げさではない。私は何度も経験しているのだから。
誰かのために作る(または’する’)こと。
それはその人なりの大きなエネルギーが必要かもしれない。けれど、自分の幸せのためだけに私たちは生きているわけじゃないから、自分にできる精一杯の愛を表現していくことってすごく大事だと思う。それは自分を愛することと同じで、内側と外側の良いエネルギーが循環してく。それが結局、その人生をかたどっていくのだと思う。台所に立つ人だったら料理があるし、お金を作る、つまり働くことを良きエネルギーとして考えれば、それは良い循環になるはずだ。
誰かのためにベアを作る、を実践した人がいる。
以前、私の料理教室に長いあいだ通ってくれて、今も交流があるMさん。かれこれ知り合ってもう20年以上になる。
ある日、彼女から電話がかかってきた。夫が咽頭がんになってしまったと、電話口で泣いていた。とても動揺していて、不安と恐怖でパニックになっていた。
一応に話を聞いた私は、彼女をなだめながらこう言った。
「今、大きな不安と恐怖を抱えているのはご本人だと思うの。周りが不安がっていても彼の病気は良くならならないし、今、家族にできることは、ご主人の萎えた心を少しでも和らげて差し上げることではないかしら。」
癌になった私の、出すぎた意見として言わせてもらえば、周囲の人たちが必要以上に不安がったり(一番不安なのはご本人のはず)、無感心を装って病気の話を避けたりするのは、かえってこちらは苦しくなってしまう。「私はあなたをすごく心配している」とパフォーマンス的なことをする人もいる。失礼を承知の上で言わせてもらえば、モノを持ってきたり、一方的に良かれと思う意見を言ったり、そういうのって何だか押し売りみたいな感じがして気分は決して良くない。病気の中にあって、こちらが周囲に気を使わなければならない状況ほど嫌なものはないのだ。
今のお互いの正直な、率直な気持ちをちゃんと話せたら、どんなに心が鎮まるだろう。心の中を見せ、話すことで、少なくても双方の気は休まるはずだ。病気自体は治らない。けれど、お互いが心の内を見せ合うことで、どっちの道の転んだとしても、もう隠したり取り繕ったりしないから、信頼し合って生きていける。
さて、話を戻そう。
彼女からその電話をもらったときはちょうど、テディベアを私のところで製作しはじめていたときだった。そこでこんな提案をした。これから2ヶ月間入院する旦那様にベアを差し上げたらどうか、と。
彼女は覚悟したように「うん、そうする!」と力強く答えた。
それから何度となくアトリエに通い、テディベアを製作した。
奇しくも旦那様が退院する2日前に、彼女のベアはできあがった。
彼女に似ている。こじんまりとしたかわいいベアだ。首に布刺繍リボンを結んで、大切そうにカバンに入れてアトリエをあとにした。
退院した彼にベアを渡したら「ありがとう」と言ってとても嬉しそうだったと、あとから聞いた。毎晩、彼は自分の寝室にベアを持っていくらしい。ふたりで食事をするときも、ベアを食卓に座らせて一緒に食べているそうだ。
「彼が病気になったことで、その大切さが身に染みて分かったし、自分が彼のことをどんなに大事に思ってるかも気づいたの。テディベアを作ってほんとうに良かった。」
彼女は明るい声でそう言った。
今は夫婦ふたりで、明るく暮らしている。
↑Mさんがベアの仕上げをしているところ。
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私はベアを製作している人たちに一応に、2体目を作るときには、ふと誰かの顔が浮かんだら、その人に作って差し上げてくださいね、と言っています。
時間をかけ、手を動かして作ったモノは間違いなく「愛」が入っています。男女の愛とは違う、もっと大きな愛です。もらったからお返しする、というのは愛ではなくて忖度。愛はまず差し上げる(または、差し出す)もの。するといつの日か、すてきな形で自分の元に返ってきます。
ね、テディベアって奥深いでしょ。
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