手工芸であること
手を動かしてモノを作ることは、たとえそれがどんなに小さいものであっても、その人にとっては宝であり、尊い行いであることには間違いがない。それによって心が平安になるのだ。
’自分の世界’を日々、明るく照らす「光」に変換していくことが、生きる目的だと思うから。
手芸、手工芸、手仕事....。
意味はそれぞれ、少しずつ違うようだけれど、実用的なモノから美術品まで、そこに高い低いとか、上下関係はなく、どれももっとも大切にすべき精神というものがある。
鈴木大拙(仏教哲学者)がこんな言葉を残している。
「手工芸は作品に画一性(かくいつせい)がない。
ひとつひとつ違っている。
置き換えられぬ、唯一つだけである。創作である。
そうして作者の人格が一一にうかがわれる。
人工的作為を施さずに、作者の個乙性から自由に湧き出て、
それが手に足に伝わり、
必要な材料を集めて、それからできるからである。」
私はこの言葉を読んで、テディベア製作は’手工芸’であることに気付いた。
テディベア製作というのは私にとって、ひとつひとつが唯一の創作作品であり、美しい手工芸である。
顔は作り手のすべてを表わす。
手足はエネルギーの象徴。
お腹は愛情をためる場所。
切って、縫って、綿を詰めて...、無になって手を動かす。
飽きることなく、自由で、やわらかな時間を過ごす。
「無垢な魂を、自らの手で生み出す」
テディベア製作が手工芸であることの理由となるだろうか。
この手工芸に携わることを誇りに思う。
生涯、この魂を作ることに全力を尽くそう。
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