ベア小話 その5 オランダに行く!
だいぶ前のこと、「素描料理の会」という少し変わった料理の会を、大阪のカフェ・ギャラリー「GULIGULI」で開催していたときだった。若い女性が怖じ怖じしながら入り口に立っていた。
それが彼女との出会いだ。
この会に参加する年齢層は様々だったが、40代〜50代ぐらいの女性が圧倒的に多かった。そんな中で遠慮がちに料理をしはじめた大学生の彼女は、ひとり遊びをしているかように黙々と「修道院スープ」を作っていた。もうそこにはオドオドした彼女はいなかった。まるで誰もいない台所でひとり、料理を愉しんでいるかのように、軽やかに手を動かしていた。
そのスープを味見をしてみると、私の味に似ていた。
そのあとも何度か、年一度のGULIGULIの展示会に顔を出してくれたので、私たちは短い間を共にした。去年、最後の展示会のときには、互いに懐かしがって、知らぬ間に手をつないでいたのだけれど、全く違和感はなかった。幼なじみでもないのに。
彼女は今、23歳。京大を卒業し、これからオランダに旅立とうとしている。「アグロエコロジー」という、日本ではまだあまり知られていない分野を学ぶためだ。(アグロエコロジーとは、農業と生態学を合わせた農生態学。有機農業だけではなく、社会、環境、食など、ホーリスティックに見ていく考え方)。
だから先日、我が家へ遊びに来てくれたときは、ほんとうに嬉しかった。ふたりでゆっくり話すのははじめてだったから、日帰りの予定を泊まりに変更してもらって、夜遅くまで話をした。
小さい頃から周りとのギャップに、彼女はずっと苦しんでいた。
次第にからだと心、両方のバランスが乱れて、パニック障害のような症状が出始めた。食事ができなくなり、何もする気が起きず、からだの不調が顕著になっていった。
病院に行っても「精神科に行ってください」と言われ、ますます体調不良がひどくなっていった。
「みんなと同じように友達がいて、それなりに楽しんではいたけれど、内面の奥深くでは周りの人との感覚のずれや人の生き方への疑問を感じていて、ありのままの自分で居られないことに悩んでいました。自分の奥にある感覚をわかっている人が誰もいないんだ、という孤独が強かったのかもしれません。 そしてそうやって自分に蓋をして過ごすうちに、自分自身、自分の感覚や思い描く世界がどんどん見えなくなっていって、現実とのギャップが苦しいけど自分のこともわからない、という逃げ場のない状態になってしまったのです。その苦しみが最も大きく表面に出たのが数年前、体調を崩す前でした。 でも体調を崩して、休学して、コロナが流行り、社会とのつながりが断ち切れたとき、自分と深く深く向き合いました。その一つの手段が料理だったと思います。」
ちょうどその頃に拙著「野菜たっぷり すり鉢料理(アノニマ・スタジオ)」に出会ったそうだ。長いあいだ忘れていた本来の自分を取り戻そうと、必死にもがいていた中で毎日、台所に立って料理をしながら、食にフォーカスしていった。
それが功を奏したのか、体調を崩してから数年経ったある日、憑き物が取れたように目の前がパッと明るく開けたそうだ。
「自分の感覚や思考、さらにはこの世界を、客観的に観ることができるようになった瞬間でした。目がもう一つできたみたいな。そして初めて、自分が自分で作った観念とか理念に縛られることで、無意識に、ありのままでいることを妨げ、心と体を傷つけていたことに気づきました。それに気づいたら、『なんだ、生きているだけで十分だったんだ』と思えて、自分を解放して、自分の心と体の健康のための選択をしていこうと心に決めました。そこから心と体の好循環が始まり、アグロエコロジーへの興味にもつながり、今に至ります。」
凶めいて吉。
辛い体験は、ときに人を高みに行かせる潤滑剤となる。
自ら料理して食べるという、生きるための基本的な行動が、彼女の’素’を引き出したのかもしれない。元々持っていた彼女の正のエネルギーが食と向き合うことで、一気に吹き出したのだろうか。
いずれにせよ、今の思考を自らの力で1mmでも動かすことで、その人の人生は大きく変化していく。その1mmを動かすのは容易ではないのだけれど。
「今のあなたの状態は、思考の結果である」と以前、どこかで聞いたことがある。
私はこのことを身をもって知っている。思考はからだや心に影響を及ぼし、ときには蝕み、ときには元気にさせ、そのエネルギーがその人を象っていく。何事においても、自分を明るくさせていくことを意識することで、良き人生となっていくことは間違いない。
今回、ふたりでそれぞれの病気の体験を話しながら「なぜ人が病気になるのか」について、屈託なくおしゃべりした。
私「癌になったのは、自分を愛してこなかったから。だから今は自分を幸せにしていくことだけにフォーカスしてるの。」
彼女は大きくうなずいた。
さて今回、オランダへの餞別として、私がかわいがっているテディベア「ベニー」を彼女に渡した。
ベニーは私が入院をしているときに病室でずっと一緒にいた。看護師のようにやさしい目でいつもこちらを見ているベニー。包容力のある子だ。ベニーはきっと彼女が凹んだときも、同じ目をして包んでくれるだろう。
これから少なくても数年間、オランダでひとり生活をする彼女にとって、ベニーは良き相棒になってくれるはずだ。
彼女いわく、
「私、裸の魂を人にさらけだせることってめったになくて、だからこそ寂しく悲しくなることもあるけど、しばにさんの愛で生まれたベニーちゃんとなら裸でいられるから、オランダに行っても本当に心強いんです。ベニーは感情を受け取るのが得意なのかなって感じます。」
もうすぐ、ベニーと彼女はオランダに旅立つ。
オランダに行くベニー(左)と、
それを尻目に、楽しいことを思案中の七(ナナ)ちゃん(右)
photo by Momoko
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