手が慣れるまで
以前このサイトで、ベアの顔づくりについて書いたことがある。
テディベア作りはどの部分を作っていても愉しいのだけれど、クライマックスはやっぱり顔づくりだろう。顔の表情がみんな違って、そこがワクワクする。やわらかい表情の子もいれば、真面目顔の子もいる。何度作っても難しい部位なのだけれど、ここがテディベア製作の面白さ。「ひとつの顔にひとつの魂」である。
ベア顔を作るときはカチカチになるまでワタを入れていく。触った人が「まるで石か何かが入っているようですね」と。そこまでワタを入れてやっと輪郭がととのう。
なぜそんなに硬くするのか。
中身がやわらかければ顔かたちは次第に崩れていく。目鼻もズレていく。ベアが100年生きるためには、石のように硬くなるまでワタを詰める必要があるのだ。
ワタは無造作にバッサバッサと入れるわけではない。薄いワタのレイヤーを少しずつ入れていく。形がある程度ととのってきたら、顔の様々な’出っぱり’に意識をしながら、道具を使ってさらにワタを入れていく。鼻、後頭部、頬、おでこ...。顔の表情は出っぱり方で大きく変わる。例えば目の下の頬をふっくらさせてあげるだけで笑顔が作れる。出っ張りの有無で表情が生き生きとしてくるのだ。
最近はやっと手が慣れてきたのか、あまり悩むことなくベア顔が作れるようになってきた。
モノを作っていくと難しいだけで終わってしまうこともあるだろう。けれど手が慣れてくると、だんだんその難しさが愉しくなってくる。そうすればこっちのものだ。自分の世界がパッと明るく照らされる。
この「手が慣れるまで」は感覚なので説明しにくいのだけれど、作り続けていくうちに、意識が’そこ’にいかなくても、勝手に作っていくというか、手が動いてくれる。今まで苦戦していたことがいつの間にか、知らないうちに作れるようになるのだ。
頭で考えたり、意識しながら作ること変な力が入ってしまう。その緊張感が手に伝わる。すると持力が発揮されない、というサイクルだ。そこから抜け出すにはひたすら手を動かす。それしか解決法はない。
不思議なのだけれど、一度覚えてしまうと、それ以前のことは削除される。
「開かれたような感覚」とでも言おうか。「後ろは振り振り返らなくていい。先だけ見てればいい」と言われているような。もちろん、開くには努力と継続が必要なのだけれど。
ベア顔作りが怖くなくなったことが嬉しい。
今、製作中のテディベアの横顔は、どこまでも澄んでいて、初々しい。
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